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名門復権のキーマン!磐田の山田大記が掲げた3つの目標 | サッカーダイジェストWeb

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山田大記/1988年12月17日生まれ、静岡県出身。技術に長けた中盤の名手。11年~14年シーズンは磐田で10番を背負った。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

浜松市出身で、小学生、中学生時代をジュビロ磐田の下部組織で過ごした山田大記にとって、清水エスパルスとの静岡ダービーは、子どもの頃から特別なゲームである。

試合ではめったに緊張することはないが、プロになって経験した6度のダービーではいずれも気持ちがたかぶり、平常心で臨めなかった。とりわけ清水のホームである日本平でのプレーには、良いイメージがまるでない。

だが、2017年10月14日に行なわれた7度目の静岡ダービーは、違った。「試合前からまったく緊張しなかったんです。もちろん、ブーイングされて『やってやるぞ』っていう気持ちにはなりましたけど、プレッシャーや気負いはなかった」

なぜ、気負わずにプレーできたのか。

思い当たる理由のひとつは、ドイツに渡って1年目に、ダービーとは比べものにならないほど壮絶なゲームを経験したことにある。

山田が所属したブンデスリーガ2部のカールスルーエは14-15シーズンを3位で終えて、1部16位との入れ替え戦に挑んだ。

対戦相手は、バイエルンやドルトムントでさえ経験のある2部降格を唯一味わったことのない古豪、ハンブルクである。アウェーでの第1戦は、これまでに感じたことがないほど殺気立った雰囲気に包まれた。

「バスはガンガン叩かれるし、発煙筒も焚かれるし、これ、僕らが勝ったら大変なことになるんじゃないかって。本当に異様な、言葉ではちょっと表現できない雰囲気でした。あの環境を味わえたのは大きかったです」

入れ替え戦には敗れたが、身の危険を感じるほどの大一番を戦った経験が、ダービーの舞台では動じないくらい、山田をタフにした。

待望の時は、72分に訪れた。

途中出場からわずか30秒、宮崎智彦のボレーシュートを相手GKが弾くと、いち早くゴール前に飛び込んで、左足で蹴り込んだ。

その瞬間、ゴール裏のサックスブルーの集団が、爆ぜた。

8月末に3年ぶりに古巣に復帰してから初ゴール。それも静岡ダービーでの、日本平でのゴールである。「どうだ!」と誇らしい気持ちが湧いたとしてもおかしくない。

だが、胸のエンブレムを握りしめ、サポーターに向かってガッツポーズを繰り返した山田の内面に迫り上がってきたのは、誇らしさではなく、感謝だった。

「不思議と、やったぞ、取ったぞっていう気持ちはなくて、取らせてもらったという感覚が強かったんです。もちろん、ラッキーな形だったし、そもそもサッカーはひとりでは点が取れないですけど、どのゴールにも増して『取らせてもらった』という気持ちになった。ちょうどサポーターの目の前でしたし」

仲間のお膳立てによって生まれたゴールだった。大歓声で迎えてくれたサポーターによって導かれたゴールでもあった。

しかし、山田の胸に去来した感謝の念は、チームメイトやサポーターだけに向けられたものではない。ダービーの舞台に立てたことへの感謝、再び磐田のエンブレムを身に付けて戦えることへの感謝でもあったのだ。

ドイツのカールスルーエに移籍したのは、2014年7月。当初はスピード感覚の違いに戸惑ったが、約3年間の欧州生活で逞しさを増した。(C)Getty Images

「シーズンが終わってからフリーの期間が2か月ぐらいあって、その間ずっと考えていた。とにかく本当に悩んだし、葛藤がすごくありましたから」

カールスルーエとの3年契約を終えた今夏、山田はヨーロッパでのプレーを続けるつもりだった。

移籍1年目からトップ下や左サイドハーフとしてコンスタントにピッチに立った。監督が代わった3年目にはメンバーから外されもしたが、チームメイトやサポーターの後押しを受けてスタメンに返り咲き、ボランチとして新境地を開拓した。チームは3部降格が決まったが、ヨーロッパでまだまだやれる自信があった。

それに3年前、磐田がJ2で戦っている最中に、プロ1年目から託されていた背番号10を自ら脱ぎ、海を渡ったという経緯を考えれば、簡単に諦めて帰るわけにもいかなかった。

「Jリーグのクラブから好条件のオファーも頂いたんですけど、国内復帰ならジュビロしか考えられなかったし、なにより僕はヨーロッパでのチャレンジを続けたかった。実際、ドイツをはじめ、いくつかオファーがあって、そのうちのひとつに決まりかけたんです。契約書まで提示されて」

そうした状況においても常に気に掛けてくれていたのが、監督の名波浩であり、強化部長の服部年宏だった。

名波はかなり早い段階から「うちはいつでもウェルカムだけど、どう考えている?」と連絡をくれた。山田の希望を知ると、名波も服部も「見つかるといいな」と応援してくれた。

「決まりそうです、と報告した時も喜んでくれたんですけど、その後、破談になってしまって……。そうしたなかで、ずっと待ち続けてくれた。最初は日本に帰るイメージが湧かなかったんですけど、名波さんが率いて、(中村)俊輔さんが中心でやっている今のジュビロでプレーすることへのやり甲斐を感じるようになって。最終的には、今はジュビロでやらせてもらうのが自分の将来にとって一番良いんじゃないかと考えて、戻らせてもらったんです」

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ドイツでの3年間、厳しい生存競争に立ち向かっていくなかで、山田は日本では得がたい経験を重ねた。

「やっぱり守備力、フィジカルは増したと思います。それに、向こうはスピード感覚がまるで違うんです。ドイツは守備戦術が徹底されていて、1対1の局面でドリブル突破を図っても、カバーリングが早くて簡単には抜けない。だから、相手が引いて守る前に攻めようと、どのチームも攻撃のスピードがとにかく速い。スペースも時間もないから苦労したけれど、慣れた部分もあります」

小中学生時代からジュビロ磐田の下部組織で育った山田。2011年3月5日 J1第1節の甲府戦でプロデビュー。1年目から背番号10を任される。(C)SOCCER DIGEST

一方で、失ったものもある。例えば、2列目から飛び出す意識、である。

「ドイツでは周りに速い選手がたくさんいたから、自分はパサーというか、彼らを活かす役回りだったんです。ボランチをやったのもそう。日本にいた時よりもドリブルをしなかったし、足もとと裏を使い分ける機会もあまりなかった。そうしたら名波さんに『できなくなっている』と指摘されて、たしかにって。今、1・5列目で起用されているんですけど、それは『感覚を取り戻せ』というメッセージだと受け止めています」

磐田への復帰が決まり、正式にチームの一員になったその日、山田は名波からこんな言葉を掛けられた。

「ここで活躍して、もう一回海外に行ってやるっていうぐらいの気持ちでやってくれればいいから」

それは、山田のヨーロッパへの未練を理解したうえでの言葉だった。

「その言葉がすごく印象に残っていて。もちろん『ジュビロのエンブレムを付けて戦う以上は、このチームのためにすべてを懸けてやってほしい』とも言われたし、僕自身もそのつもり。もう一度ヨーロッパで挑戦したいという気持ちはあるけれど、だからと言って、すぐに出て行こうなんて思っていない。それに、ジュビロで活躍して、このチームに多くのものを残さなければ、次のチャンスなんてないですから」

山田には、プロになった時に立てた目標が3つある。

磐田でJリーグ王者になること。

ワールドカップに出場すること。

ヨーロッパのリーグで活躍すること。

「この3つ、まだ捨ててないです。それにこの3つは別物ではなくて、ジュビロで活躍することが、代表やヨーロッパにつながっていく。だから今は自分のすべてをジュビロに注ぎたいと思っています」

名波が率いる今のチームは、かつてとは違ってファミリーのような一体感があり、試合を重ねるごとに戦い方の幅を広げている。大いなる可能性が感じられるからこそ、自分が果たすべき役割がある、と山田は思っている。

「今、すごく良い集団になっている。ただ、ドイツでは練習から激しかったし、意見もかなり言い合っていた。今のジュビロがさらに上を狙うには、言い合える集団、戦える集団にならないといけない。そう考えると、自分がドイツで学んだことをチームに還元できたら、恩返しになるかなって。それに、名波さんって選手をすごく大事にしてくれる。若い選手にもチャンスを与えているけど、そうした名波さんの愛情に甘えてはいけない。自戒を込めてですけど、そんなことも伝えていきたい」

山田を苦しめた理想と現実とのギャップ

29節の清水との静岡ダービーでは、復帰後初ゴール。その瞬間、胸にこみ上げてきたのは感謝の念だった。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 舞台裏を明かせば、このインタビューは静岡ダービーの4日後に行なわれた。その1週間後の10月25日、横浜F・マリノスとの天皇杯で山田は肉離れを起こした。

ドイツ時代、1年目の後半から2年目の前半に懸けて約1年間、ゴールから見放された時期がある。監督が信頼して起用し続けてくれたからこそ苦しく、それは、3年目にベンチ外になったことよりも辛い経験だったという。

「理想と現実とのギャップに苦しみ、自分を追い込んで、自信をどんどん失ってしまったんです。そんな状態が1年ぐらい続いて。でも、ある時、こんなはずじゃないと思うのを止めて、これが今の実力なんだと受け入れた。そのうえで改めて、これから点が取れるようになるのか、と自問して、その自信はあるぞと。そうやって段階を踏んだら、少しずつプレッシャーから解放されて、再び自信を取り戻すことができたんです」

3つの目標はまだ捨てていない、と語った山田にとって、復帰後初ゴールを奪い、まさに「ここから」という時に負った今回の怪我が大きなショックであろうことは想像にかたくない。

だが、信じてしまうのだ。単身乗り込んだ異国でスランプに陥り、四六時中サッカーと自身と向き合い、苦しみ、今の自分を受け入れることでスランプを克服した山田なら――。

現実を受け止め、目標に向かって、再び大きな一歩を踏み出すはずだ、と。

取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)

※『サッカーダイジェスト』2017年11月23日号より転載。

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